私たちは、イエス・キリストが見えるみ姿でこの世界に再臨されることを信じます。また、イエス・キリストが見えるみ姿で地上を御支配なさる時、人間の体のよみがえり、最後の審判、義人の永遠の祝福、罪人の永遠の苦痛が実現することを信じます。

終末論が流行している。終末は、一般の人々には不安であっても、キリスト者には希望である。聖書は、終末に関して多くの預言をしている。私たちは、その聖書の教えに従って、重要な幾つかの項目にまとめて告白しているのである。

それらは、キリストの再臨と支配、死人のよみがえり、最後の審判である。ここで重要なことは、〈見えるみ姿で〉とか〈体のよみがえり〉等の表現に見られるように、象徴や比喩としてではなく事実として行われることを明確に告白していることである。

終末の理解においてむつかしい問題は、一方ではエホバの証人等のようにユダヤ的字義主義に陥ることであり、他方では自由主義信仰者たちのように象徴的に解釈してしまうことである。また、特定の預言を極端に強調して解釈したり、熱狂主義の徒となってしまう危険がある。私たちは、健全な信仰に立ちつつ、聖書の正しい解釈により、終末に関する正しい信仰に生きる者とならなければならない。

 

1. キリストの再臨

主イエス・キリストは、ご自身の再臨について多く言及しておられる(マタイ16:27、24:30、44、25:31、ヨハネ14:28)。パウロも、キリストの再臨について多くのことを教えている(第一コリント11:26、15:23、第一テサロニケ4:13?18)。キリストの再臨は、聖書の基本的な教えの一つであり、キリスト者の希望である。

私たちは、〈イエス・キリストが見えるみ姿でこの世界に再臨されることを信じ〉る。主イエスは、昇天されるとき、約束して言われた。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたを見たときと同じ有様で、またおいでになります」(使徒1:11)。使徒パウロも、主イエス・キリストが栄光のうちに天使たちを従えて来られると語っている(第二テサロニケ1:7、テトス2:13)。黙示録は全篇(ペん)これキリストの再臨と新天新地についての預言であり、すべてが詳しく生き生きと語られている。そしてその終わりは、「これらのことをあかしする方がこう言われる。『しかり、わたしはすぐに来る。』アーメン。主イエスよ、来てください」(黙示録22:20)という言葉で、力強くまとめられている。

主イエス・キリストの再臨は、私たちの希望である。「主イエスよ、来てください!!」

 

2. キリストの支配

キリストは、この世を支配される。キリストの支配は、現在であり終末である。主イエスは、多くの悪霊を追い出された時、次のように言われた。「わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです」(マタイ12:28)。イエス・キリストによる支配は、イエス・キリストが初めてこの世界に来られた時からすでに始まっている。しかしその支配は多くの人々には隠されており、直接的ではない。〈イエス・キリストが見えるみ姿で地上を御支配なさる〉のは、再臨の時からである。その時、すべてのものは裁かれ、最後の敵である罪と死も滅ぼされ、キリストの御支配は完成する。

キリストの支配は、地上の世界だけではなく、あらゆる霊の領域にも及ぶ。サタンは、終末の時代になるとますますその猛威を奮うのであるが、やがて「火と硫黄との池に投げ込まれ」(黙示録20:10)、キリストの御支配は完成するのである。

 

3. キリストの審判

キリストの再臨の時の状況を、パウロは次のように描いている。「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響のうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです」(第一テサロニケ4:16、17)。キリストの再臨の時は、キリストにあって死んだ者のよみがえりの時であり、救いの完成の時である。しかし〈人間の体のよみがえり〉と言うとき、その意味はさらに広く、すべての人の体によるよみがえりのことである。

すべての者は、体によるよみがえりの後、神による最後の審判を受ける。〈最後の審判、義人の永遠の祝福、罪人の永遠の苦痛が実現することを信じます〉。ここで〈義人〉と〈罪人〉の言葉が対比されながら使われているが、それには信者と未信者という意味と共に、それぞれが人間としてどのように生きたか、ということも含まれている。義人には神と共にある永遠の祝福が、罪人には永遠の苦痛が与えられるのである。〈滅亡〉という言葉は絶滅するという意味ではなく、生ける神との祝福された交わりから追放され、苦痛とのろいの中に置かれることである。